9月

小山町長就任演説 職員に結束を語りかける



多くの町民と職員を前に、就任の演説をする小山町長。
学生時代から愛用の細いネクタイ。現在は青いネクタイ
青ネ、青根がトレードマーク。スーツは、濃紺のブルッ
クス・ブラザーズ。大切に大切に手直しをして着ていま
す。 8月28日 午前9時ころ 役場内議場にて

 

みなさん、おはようございます。
8月4日の町長選挙で3選を果たさせていただいた小山修作です。
本日、私は、私たちの目の前にある仕事に、心から謙虚な気持ちで向き合い、町民のみなさんから託された信頼に感謝し、先人たちが行ってきた営みに思いをはせながら、ここに立っています。
思えば、これまで多くの先輩たちが町づくりの先頭に立ちました。

貧しさゆえに、子供たちに食べ物や教育の場を与えられなかったり、年老いた人々に十分な医療を提供できなかった時代もありました。
しかし、どのようなときも、この町が存続できたのは、指導者の存在や力量だけでなく、ここに住む人々の努力と忍耐があったからなのです。
そしてなにより、この役所に集うみなさんや、みなさんの先輩方のご尽力があったからなのです。

私は、8年前、この場所で、ここから申し上げました。初当選の翌日、初登庁の就任演説です。

今から1400年前、日本で初めての憲法が制定されました。古代日本の開明的知識人であり、希有な理想主義をもつ政治家、聖徳太子の17条憲法。
17条のうち5ヶ条は、役人のあり方についてのものでした。
第 4 条。役人は、礼儀をきちんとつくすように。
第 8 条。役人は、仕事を怠けてはいけない。朝早くから勤めなさい。
第12条。役人は、人民のひとりにすぎない。いばってはいけない。
第13条。役人は、お互いの仕事について理解しあうこと。
第14条。役人は、ほかの人が偉くなるのを、ねたまないように。
17条の憲法は、町長、議員、役人いや、すべての人々の生き方の指針となるべきものでありましょう。
さて、今回の町長選挙、二人が立候補いたしました。二人とも町長を経験し、この町を愛し、この町を思い、この町に住む人々を大切に思っています。だからこそ、信念をもって戦うことになるのです。

戦いは終りました。勝者も敗者もありません。今日が、始まりです。どこを見ても、取り組まなくてはならないことがあります。
ドイツの政治家であり文学者であったゲーテは、こう言いました。

仕事をするには仲間が必要だ。 仕事をすると仲間が増えてくる。

私たちは、この町に集い、この町に営み、この町に働く仲間です。
これからも、子供たちが、孫たちが、次の世代が、希望と美徳とともに歩んでいけるよう、多くの先人たちが、凍てつく流れにいどみ、困難を耐えしのんだように、お互い、仲間として協力しあい、支えあっていこうではありませんか。
ここには、人材と機材と予算と、みなさんの誠意があるのです。
これまでの町づくりへの御尽力に町民を代表して感謝申し上げます。
これからの道も険しいものでありましょう。しかし、ここに集ったひとりひとりが、初心に返って努力していきましょう。町づくりは、私たちの双肩に懸かっています。

8月

【一日町長体験】今、話題の人が次々に登場します!

 一日町長体験には、県内のテレビ局も注目。この日も3社が取材に来庁。6月14日午前9時30分、議場にて。
8人目はエイトマンならぬ
超能力をもつ?エイトウーマン。
美貌とパワーが全開です。
 
 

 

 川崎町ふるさと納税30万の返礼品一日町長体験が注目されています。
8人目は、?歳の藤ふじ原はら聖せい蘭ら さん。埼玉県所沢市で婚活やデート用のブランドワンピースをレンタルする会社を25歳で設立。順調に業績を伸ばした京都大卒の才女。
「事業を継続するには、お客様に満足してもらうこと。利益を得ることの2つが必要。役所も住民に満足していただくサービス業の時代。住民に満足してもらう接遇が必要。そして、役所にとって利益を得るとは住民に税金を納めてもらうこと。そのためにも役所は、しっかり町づくりを進め、情報を流すこと。町長就任に備えて川崎町の1年分の広報を見ました。町長さんのコーナーが、とても面白く分かりやすい。町長さんが、工夫されていますから、広報全体が読みやすく、写真も良く選んでいるようで、すばらしいです。」
一日町長の訓示に、職員は接遇の大切さと納税していただくために何をすべきかを問われたようです。

 

三好院長はクリニックを経営しながら、3443(ミヨシサン)通信という病院  報を発行しています。

内容は、旅行記、研修報告、投書箱など 盛りだくさん。一日町長の記事も7月号 に掲載されました。

 

 七人目の侍は、ドクターミヨシ!
5月30日、7人目の町長に就任したのは、仙台市泉区で有名な三好耳鼻咽喉科クリニックを経営しているドクターミヨシこと三み よ好し 彰あきら院長。院長は、丸森町出身で宮城2区選出の衆議院議員、秋葉賢也氏の後援会長。
宮城県の医療と政治の分野で厳然たる地位をもつ一日町長は、
「秋葉賢也後援会を通じて多くの市町村長を知ってはいるが、バイタリティ溢れる小山町長の仕事ぶりを是非一度、見てみたいと思った事が今回の応募のきっかけ。また、私の祖母の家系が、支倉常長の一族と親戚であったことが、最近になって判明。常長さんのお墓参りも兼ねて訪町となりました。」と訓示、さらに
「かつて、村田町出身のオリンピック金メダリスト、三宅義信選手はバーベルを持ち上げる時、体育館の天井に向かって持ち上げるのではなく、天井の向こうにある青空に向かって持ち上げたのです。そのような気構えを持ちましょう。」と力説。
ドクターミヨシは、七人目の侍であり、ロマンチストなのっしゃ。

7月

人口減少に歯止めを!

去年、日本で生まれた赤ちゃんの数は約92万人。統計がある120年間で最も少ない数です。日本全国で少子化と人口減少が続く中、仙南2市7町の人口の動向を見ると上の表のようになります。川崎町の減少率は1.2%で9市町の中で、7番目に位置しています。これからも、しっかりと町づくりを進めます。

 

受次て国の司の身となれば
忘るまじきは 民の父母
250年前、上杉鷹山が
17才で米沢藩主となった
時に詠んだ歌。指導者の
慈愛と責任が見てとれる。

 

 財政難にあえいでいた米沢藩を立て直すために、上杉鷹山(ようざん)公は、まず藩主である自分自身の年間経費を7分の1に削減しました。
私が町長に就任したころ、町長交際費は、かなり高額なものでした。年間、約150人が亡くなり、その香典と線香セット(合計で5千円)を届けていたために、他市町と比べ、それだけで多額になっていたのです。私は、公用車と税金を使って、町民のみなさまに、香典や線香セットを届けることをやめさせていただきました。
すべての町民の方々の死を悼むことは大切です。しかし、慶弔費につきましては、他の市町との整合性も重視せねばなりません。
何をやめ、何をすべきか。指導者は、そのことを常に考えていかねばならないと思っております。

6月

平成最後のアラバキに愛をこめて


爽やかな青空の下、爽やかな笑顔の川崎中学校吹奏楽部。若々しいサウンドが青空にぴったり。
今回、初登場のジェラートモナカ。なかなかのものなのか?  チョコえもん大好き~!   パパよりチョコっとね。  玉こん。たまに食べたくなります。  からしつけ放題。たまりません。
   永遠の若大将と     今年も逢えました。  名物けんちんそば。具もたっぷり  はいって身も心も、グッ。 牛串は、もう完売。焼き鳥はどうですか~ 飛び切りの味ですよ。

 

 いやぁ~、今年のアラバキ、物凄い人でした。4月27、28日の2日間で5万8000人が来場、過去最高の人出。加えて、出演者、スタッフ、出店者などで「みちのく公園」は人々の歓声であふれました。 特に、9店舗の川崎町のブースは大人気。完売して追加の搬入をする店も多く、まさに店・手古舞?

 ところで、会場周辺の駐車場もかなり増えたようです。アラバキが川崎町に舞台を移して14年。当初は騒音の苦情が多く、対応に苦慮しましたが、今年は1件のクレームもなく、地元の御理解、御協力に感謝するとともに、駐車場の整備などで来場者を温かく迎えて下さることに心より御礼を申し上げます。

 これまで5回、アラバキに出演されている加山雄三さんは言います。「イベントを受け入れてくれてありがとう。これからもよろしく、と皆さんに伝えてください」「若大将に礼を言われて、僕はしあわせだなぁ。僕は死ぬまで、アラバキを受け入れるぞ。いいだろう」82才の若大将が大爆笑でした。

 

エアコン設置完了!危険な暑さに 備えるために

すべて三菱の機種を使用、これは天つり型。5月9日午後1時頃 川崎小
   

川崎小にはテラスがないのでマルチ型の屋外機。これが垂直に1階から3階までの教室を賄うことになる。

天窓と横窓からの光が室温を上昇させていた富岡小2階の教室

 

県内の市町村に先駆けて

 昨年の夏は記録的な暑さ、全国で熱中症の死者が150人以上。約9万人が病院へ搬送されました。

 川崎町では県内35の市町村の中でいち早く、小中学校へのエアコンの設置を決定し事業に着手しました。

 そして、この度、町内6つの小中学校の59の普通教室にエアコンが設置されました。総事業費は約1億3000万円。そのうち、国からの助成は約6200万円。どの市町村も財政は厳しいものがありますが、子供たちが安全に学校生活を送れるよう、この事業の着手を決断したところです。

 かつて、アメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディは言いました。「子供たちは、世界でもっとも価値ある財産であり、未来への希望の星だ」と。

 改めて、この事業を推進した議会をはじめ、すべての関係者の方々に感謝と御礼を申し上げます。

 夏に間に合いました。ホッとしております。外は、まばゆい新緑。

5月

いよっ 待ってました
みんなで「ハッピーオボコンベ」楽しみましょう!

左に、三つの山が連なる三森山。そのとなり中央にちょこりんと突き出ているのが、登山愛好者から「宮城のマッターホルン」と呼ばれている岩山「オボコンベ山」。本砂金地区のシンボル。
標高595m。とんがった岩山で、子供をおんぶしているように見えることから名がついた。アイヌ語との説もあり。仙台市の太白山よりも急斜面をもち山頂からの眺めは、こでらんねぇ~
「かわさき空中食堂 ハッピーオボコンベ」 仙南2市7町の小学4~6年生で構成された劇団、AZ9(アズナイン)ジュニア・アクターズが、オボコンベ山をモチーフにした歌、ダンス、劇を披露。2月10、11日の2日間で1200人を大河原町のえずこホールに集客。子供たちの笑顔とエネルギーがステージ一杯にはじけ会場はハッピーと夢で満ちあふれました。児童劇団の公演は26回目。出演者は昨年11月から練習に励んだそうです。
興味のある方は、仙南地域広域行政事務組合の教育委員会へ。 ℡0224-52-3433

常長まつりに出演決定‼

さて、多くの人々を魅了した児童劇団の歌と踊りを、川崎町で楽しめることになりました。6月2日に開催される第26回支倉常長まつりに特別出演が決定。期待して下さい。

「私たちのハッピーって、外からやってくるもんじゃない。
(胸を叩いて)ここから生まれるんだって」

「そして(足をならして)ここから生み出すしかないんだって!」

 全員で足を打ちならし歌いだす

♪ ハッピーは、とおくからやってくるんじゃない
ハッピーは、ここで生まれる
ハッピーは、ココで生まれる

              ―「ハッピーオボコンベ」より―

座長の一條結実ちゃんと
公演を終えてニッコリ

4月

 
裏丁地区住民懇談会の様子。平成30年8月27日 午後8時ころ

 

軽率な行動心より謝罪申し上げます

去る1月30日、河北新報で報道されました件につきましては、掲載にあるとおりでございます。

改めて、皆様に、私の軽率な行動について、心より謝罪申し上げるものです。

ただ、限られた新聞の誌面での表現ですから、付け加えさせていただきますと、当日の懇談会で、私は最初に、挨拶でワインをご馳走になったことを、自分から町民の皆様にお詫びし、そのいきさつを説明し、最後にまた、お詫び申し上げました。

その後、懇談会は私が進行を務め、町の現状を説明。その都度、質問や意見をいただき回答をいたしました。のべ12名の皆さんから発言を頂戴し、回答を終了した午後9時に閉会としたものです。

このように懇談会は混乱なく終了、20名の参加者からは、11月24日の「議会と町民との意見交換会」まで、懇談会の進行、ワインをいただいたことへの苦情がなかった次第です。

ところで、21年前、㈱東北中谷様の沼田月夫氏が死去。2年後、会社は倒産、多くの人が苦労しました。

現在、㈱ライフフーズ様の従業員は330名、町で一番の規模。人々の大切な雇用の場であることは、勿論、法人税や固定資産税などの税額は、3300万円。さらに、この度の寮の完成で250万円がプラス。

地元の企業の命運が、地域の存亡に関わることを、内外のニュースが毎日のように報道しております。

その企業の一番の問題が働き手の確保。ベトナムからの研修生は、現在、46名。今後、半年に15名ずつ受け入れるそうです。この国は、これから外国の人々を受け入れねば、交流していかねば、存続していくことができません。川崎町も同様です。

私は、2年前から、ライフフーズ様の外国人研修生の寮の建設に関わり奔走してきました。

日本に来る彼女たちも必死です。

「一生懸命働いて、お金を送りたいのです。頑張ります。よろしく。」覚えたばかりの日本語で、一生懸命な笑顔で、ジュースやワインを私たちのコップに注いでくれたのです。

皆さん、彼女たちをよろしく。


昨年8月、小山修作川崎町長が飲酒後、町内であった町民参加のまちづくり懇談会に出席したとして、町民有志でつくる団体「川崎町を再起させる会」が29日、小山町長宛てに公開質問状を提出した。小山町長は事実を認め、陳謝している。

団体の佐口健二代表が町役場を訪れ、佐藤孝行副町長に質問状を渡した。質問状は「町民に説明、謝罪する考えはあるか」「自らをどう処すのか」など5点を問い、回答を求めている。

関係者によると、懇談会は昨年8月27日夜、町内の裏丁コミュニティーセンターであった。町民約20人が参加し、
町長は誘致企業の外国人労働者用の寮の落成式でワインを4回程度つがれ、飲んだ後に懇談会に出席したという。

「町長は酔った表情やしぐさをしていた」と話す住民もいるが、開催中に大きな問題はなかったという。

小山町長は取材に「(外国人労働者から)『一生懸命働いて母国にお金を送りたい』と酒をつがれ、胸を打たれて断れなかった。軽率な行動で申し訳ない」と謝罪した。
(河北新報「川崎町長 飲酒後に住民懇談会 町民団体の質問状に謝罪」平成31年1月30日付朝刊)

3月

川崎っ子の筆づかいに

高い評価!

▲平成14年、ポイントを説明する中川先生 なつかしいですね

▲熱心に先生方の話を聞く子供たち 
会場はB&Gの体育館 寒さなんて気にしない 平成17年

 ▲『徳育』 村上とき子先生の書 前川小の校長室にあります

 

2月

 ▲記念パーティーを企画・運営したメンバー。めちゃいい顔してる。はんぱないって!!

はたちのころ、誰もが輝いている。
はたちのころ、誰もが希望にあふれている。
祖父や父が、しなやかだったように。
祖母や母が、かぐわしかったように。
若さとは素晴らしく、そして、かけがえのないもの。

左 はたちの小山町長 昼は土木工事で働き、夜は大学で勉強の日々


当たるか、はずれるか?


多くの経営者や学者、ビジネスマンから「経営学の父」といわれ尊敬されているドラッカーは言います。

「最初に出会う仕事は、くじ引きのようなものだ。当たるか、はずれるか、分からない。最初から適した仕事に就ける人は少ない。若い人が魅力的だと感じる業界や企業を探し仕事に就いたとしても、本当に自分に適した仕事ができるかどうかは、実際にやってみなければ分からない。とにかく仕事に就くことで、多くのことを学び経験しながら自分を高めていくしかない。」

ところで、毎年、町職員の採用試験があります。受験資格は35歳まで。他の市町村はおおむね29歳。

なぜか?

私たちは、この町で育ちこの町を離れた人たちにも戻ってきてほしいのです。誰もが戻ってこられる町づくりをも目指しています。

川崎町の子育て支援策は県内の市町村でトップクラスです。豊かな自然の中にあって仙台市中心部まで車で40分。仙台は通勤圏。町内で農業を、事業を、通勤をしながら子育てをしようとする若い人たちが移住してきております。

挑戦していこう!

確かにこの国は全国各地、少子化で学校の統廃合が相次いでいます。支倉、川内、本砂金、青根の学校も皆さんが卒業した翌年、その歴史に幕を閉じざるをえませんでした。しかし、現在、施設は利活用され、多くの人々を受け入れています。皆さんを育んだ校舎は、人々を集め、人々が働き、人々が出会う場所となりました。私たちの町は様々な可能性を持っています。私たちが生まれ育った町も、皆さんと同じように成長していくことができるのです。

そのためには皆さんの若いエネルギーが必要です。この町で生きていく人、この町を離れる人、様々でありましょうが、この町は、これからも、皆さんを育み、皆さんを受け入れ、皆さんとかかわりを持とうとしています。これから社会を担っていくのは皆さんです。

どんなことにも挑戦してください。そして、その挑戦は、どこにいってもできるのです。この町にあってもできるということです。

 1月

皆様からの信頼に感謝して

新しい年が始まりました。

昨年を振り返りますと、日本各地で災害が発生。豪雨、台風、地震。そして、危険な暑さも災害となりました。

川崎町では、県内の市町村で、いち早く、小中学校にエアコンを設置すべく決断をし、事業を進めているところです。

東日本大震災から、まもなく8年・・・。

あらためて自然災害の脅威を感じると共に、有事の際の心構えを新たにしております。

これまで、多くの先輩たちが、町づくりの先頭に立ちました。繁栄のときもあれば、暗雲の立ち込めるときも・・・。

しかし、どのようなときでも、この町が持ちこたえられたのは、指導者の見識や力量だけでなく、人々の努力と忍耐があっ
たからなのです。先輩たちは、苦難をやり過ごしては立ち上がり、気力を振り絞っては、地平線を見据えました。

彼らの価値観は、正直、勤勉、勇気、そして、寛容の中にありました。それは、これからも求められるものでありましょう。

いつの時代も試練があります。

だからこそ、私たちは、皆様から与えられた信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚に向き合っていかねばなりません。

季節はめぐり、やるべきことは山積しています。

先輩たちが、凍てつく流れに挑んだように、私たちも地平線を見据えて休むことなく歩いていきましょう。

次の世代にバトンをしっかり渡すために。

それが私たちの務めなのですから・・・。